27日付け朝刊各誌は、沖縄戦の「集団自決」をめぐる高校日本史教科書記述をめぐる検定問題で、文部科学相は「軍の強制」は認めなかったものの「軍の関与」として訂正申請を認めたと報道しました。
15日に上映された映画「GAMA月桃の花」でも軍隊が住民の命を守らないばかりか強制集団死に追い込む姿が画かれていました。
1961年琉球新報に掲載された『戦争への反省』と題する記事の中に以下のような文書があります。
「司令部が摩文仁に後退する前、八重瀬岳の陣地で、各部隊長を集めての最後の作戦会議があり、オブザーバーとして、島田知事も出席した。
その席上、島田知事は、『戦闘力の無い住民は、全部、知念半島に移し、そこを無防備地帯とし、米軍に通告すること』を、主張したが、軍首脳は、その主張を聞きいれなかった。
軍民一体という思想であろうか。身に寸鉄をおびぬ住民、老若男女は、かくして、放火にさらされたのである。司令官と日本軍は、何万、あるいは、何十万の住民を、死の道連れにしたのだ。住民は無理心中を強制されたのだ。」
沖縄戦の過程ですでに「無防備地域宣言」という考えがあり、沖縄の島田知事はそれを主張していたことが読み取れます。実際に「前島」など日本軍の駐留を拒否、存在しなかった地域は戦禍にまき込まれなかったそうです。
無防備平和都市条例は歴史の教訓に学ぶものですね。
posted by おだわらむぼうび at 09:37|
日記
|

|